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PERSISTENCE is POWER -サンフレッチェと共に->吉田サッカー公園徹底研究
吉田サッカー公園徹底研究
サンフレッチェ広島の練習場として使用されている、吉田サッカー公園についての秘密?(笑)を紹介したいと思います。
吉田サッカー公園へのアクセスについてはすぐ下のリンクをクリック!
吉田サッカー公園について
毛利元就ゆかりの地 安芸高田市吉田町
吉田サッカー公園は、広島市の中心部から北に約40km離れた、安芸高田市吉田町という言葉は悪いんだけど田舎町にあります。
この吉田町は、戦国時代の中国地方の武将である、毛利元就ゆかりの土地であり、毛利元就はこの吉田の地の郡山城を居城としていました。
毎年1月〜2月あたりに毛利元就ゆかりの清神社(すがじんじゃ)で行われている、サンフレッチェ広島の必勝祈願では、毛利元就が登場します(笑)
サンフレッチェ広島のチーム名は「三本の矢」という、毛利元就の故事成語からきており、
そのことから、吉田町はサンフレッチェ広島をこの地に誘致しようと、練習場、つまり今の吉田サッカー公園をを設立しました。
サンフレッチェ広島のチーム名の由来についてはこちら↓
サンフレッチェ広島 チーム名の由来
Jリーグ元年からサンフユースの練習場として使用
Jリーグ元年の1993年から、サンフレッチェ広島ユースの練習場として
この吉田町が使用されていました。
1997年には、クラブハウス、ピッチも最高の環境へと整備された吉田サッカー公園が完成し、
サンフレッチェ広島トップチームの練習でもこの吉田サッカー公園が
使用されるようになりました。
現在のモンテディオ山形の監督である小林伸二さんは、サンフレッチェ広島ユースの初代監督として、一家でこの吉田町に引っ越してきて、選手たちとほぼ(笑)共同生活をしていたみたいです。
サンフレッチェ広島奇跡のイレブン という本の中で紹介されていました。
この本については、たいへんおもしろい本でしたので、いつか本の紹介コーナーで登場してくると思います。
日本のミラネッロ
吉田サッカー公園は、広島市中心部からは、車で約1時間と、かなり遠い場所にあります。
そのため、同じような環境であるイタリアのセリエAのACミランの練習場”ミラネッロ”にちなんで、吉田サッカー公園は、”日本のミラネッロ”と勝手に呼んでいます。
環境は、山に囲まれた静かな練習場で、芝生の状態も抜群。
選手がのびのびと練習できる環境が整っています。
一時期は、某Jリーグチームのジェ○千葉のスタッフが自分たちのチームの練習場を新設するにあたってこの吉田サッカー公園を参考にと、偵察にもきたらしいです。
サンフレッチェユースはトップチームよりもいち早く、この吉田町をメインの練習場として、
使用しており、ユースの選手たちは、近くの「三矢寮」で集団生活をして、
日々サッカー技術を磨いています。
これは、サンフユースの強さの秘訣として知られており、京都サンガなどの他のJリーグチームもサンフユースに続けとばかりに、同様の育成戦略をとりだしているようですけど、はたして結果はどうでしょうか・・・・
自転車で長くきっつい坂をひいこらひいこらと登ってくるサンフユース選手たちの様子は、ここの名物にもなっています。
吉田サッカー公園の天敵
他の吉田サッカー公園の名物としては、熊のサンチェ・・・・じゃなくて、うさぎさんが多数登場します(笑)
自分は、うさぎ自体は見たことはありませんが、うさぎのふんならここで大量に発見しました(笑)
笑い話のようですけど、うさぎ対策は本当に練習場の芝生にとっては大事なようで、うさぎ対策用の防護ネットも、この吉田サッカー公園では見ることができます。
本当に深刻なようです。
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