広島城


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広島城

広島城とは広島にあるお城のことです(笑)

それは冗談として、広島城についてきちんと説明したいと思います。

広島城は、広島の観光地としては、トップ10に入るスポットです。

お城自体は、戦国時代に建設されていたのですが、現在ある広島城は戦国時代に建設されたものがそのまま残っているわけもなく、第二次世界大戦後に改築されたものです。

広島城は、原爆の爆心地から1kmにも満たない位置にあったので、戦国時代に建設されていた元の広島城は原爆で吹っ飛びました。

現在の広島城は、戦国時代から第二次世界大戦までの広島の歴史を紹介した、歴史博物館として機能しています。

広島城の写真

見た目はすごくぼろいです(笑)

広島城ってしょぼいよね〜と思った方は勘違い。

広島城の外見はわざとぼろく見せていて、中身は最新式の鉄筋コンクリート製のお城です。

それもそのはず。
場内には、江戸時代の広島城下街と今の広島市街地の関連性が見える展示であったり、戦国から江戸時代にかけての、毛利家、福島家、浅野家グッズが展示されています。

天守閣にも登ることができます。

ある意味、広島城は広島タワーといってもいいでしょう!

広島城の場所はこちら↓


大きな地図で見る

広島市街地から近い位置にあるため、アウェーサポーターの方も非常に行きやすい、観光スポットです。

広島城と聞けば、あまり詳しくない方は、すぐ毛利家のお城?と思ってしまいがちですが、この広島城に最も長く居城していたのは浅野家になります。

江戸時代は、ずっと浅野家の居城となっていました。

築城したのが、毛利家であり、その時の毛利家の当主は、有名な毛利元就ではなくて、毛利輝元になります。

もともと毛利家の居城は、サンフレッチェ広島の練習場である吉田サッカー公園の地、安芸高田市吉田町にありました。

しかし吉田の地が、山間部であったため、交通の便が悪く、そのため海沿いにある、今の広島市街地の場所に広島城を築城しました。

戦国時代の戦いとして有名な”関ヶ原の戦い”。

この戦いの西軍の総大将が毛利輝元です。

ご存じの通り、関ヶ原の戦いでは、徳川家康が率いる東軍が勝利したため、毛利輝元はこの戦いの結果、広島の地を離れることになってしまいました。

関ヶ原の戦いで活躍をした福島正則が毛利輝元に代わって、新たに広島城の当主となりましたが、すぐに移動となり、代わって浅野家がその後、明治の廃藩置県が行われるまで広島城の当主として長く居続けました。


広島城についての豆知識ですが、広島城は別名で鯉城と呼ばれています。

なぜ鯉城と呼ばれていたかは、いまだ議論が分かれるところです。

で、鯉といえば、英語に直すと”カープ”。

ここまできたら、もう僕が何を言いたいかがわかると思います。

プロ野球チームの、広島カープは、こういう理由からカープという名前になりました。

広島城についてもっと詳しく知りたい方は、広島城のホームページがありますのでそちらを参考にしてみてください。

広島城ホームページ

観光前に、予備知識として、ある程度調べておけば、生で広島城を見るときにもっと楽しくなりますよ♪


その他おもしろネタ

上に表示されている地図を見るとわかると思いますが、広島城の横に中央公園という、巨大な公園があります。

下の写真が中央公園なんですけれど、芝生と草で覆われた、広場になっています。

中央公園の芝生

某チームは、ここで前日練習してたみたいです・・・・・

広島市街地から近いし、中央公園の近くには広島リーガロイヤルホテルもありますから、
ある意味いいかも・・・・

選手たちもよくこの広島リーガロイヤルホテルを使用しているみたいです。

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